『海辺のカフカ』 by村上 春樹

以前、ハードカバー版を読んだことがあるが、今回文庫版が出たということで、購入し、いろいろな移動の合間を縫って読む。

『海辺のカフカ』は、主人公田村カフカ君が、お約束のあっちの世界とこっちの世界を行き来しつつ、成長していくお話(とボクには感じられた)。

エディプスコンプレックス、多重人格(専門的には不適切な表現かもしれませんがご了承ください)、幼児虐待、そしてそこからの脱却etc.…
そのような具体的な素材の味やにおいはあちこちになんとなく感じるけど、村上さんの場合、その素材を細かく刻んで、鍋にいれ、さらに何日もぐつぐつ煮込んでいるため、できあがった料理はなんともメタファー的で暗示的な仕上がりとなっている。
しかも登場人物もとても観念的で、象徴的な存在。
まぁその混じりけのないその純粋さが読者には気持ちいいのだろうけど、まさに村上ワールドだ。

村上さんのつくる料理(作品)はそんな風だから、食べるたびに全然違う味がする。
自分の舌が肥えてくるに連れて、また違った素材の味なんかが感じられるようになるから、以前とはまったく違う楽しみ方ができる。
そして、いろんな味覚を持つ人がいるけど、どんな味覚を持った人でも楽しめるし、その楽しみ方は自由だ、と村上さんがおそらくは思っているから、こん何も幅広い人たちに支持されているのだろう。

ボクが今回読んで思ったのは、「記憶」も重要なテーマのひとつなんじゃないだろうかということだ。

佐伯さんは、
「それ(思い出)を抱えていることがどんなに苦しくても、生きている限り私はその記憶を手ばなしたいとは思いません。それが私の生きてきたことの唯一の意味であり証でした。」
と言っている。
しかも佐伯さんはその記憶の象徴を燃やした後、田村カフカ君にむかって、
「私があなたに求めていることはたったひとつ。(中略)あなたに私のことを覚えていてほしいの。ほかのすべての人に忘れられたってかまわない」
とも言っている。

そして大島さんは、
「大事な機会や可能性や、取りかえしのつかない感情。それが生きることのひとつの意味だ。そして僕らの頭の中には、たぶん頭の中だと思うんだけど、そういうものを記憶としてとどめておくための小さな部屋がある。きっとこの図書館の書架みたいな部屋だろう。(中略)言い換えるなら、君は永遠に君自身の図書館の中で生きていくことになる」
これを見たとき、甲村図書館とはつまりいろいろな人の記憶の象徴なのでは、とボクは思った。

そして佐伯さんは外の世界に生きることに疲れ、結局その記憶の世界(図書館)に帰ってきた。
カフカ君は目をそらし続けてきた過去の記憶と向きあうために、はるばる記憶の世界にやってきた…
そういうことなのだろうか?
でもなにが正解であるわけではないし、ボクはそう感じたんだから、それはそれでいいのだろう。
今のボクなんてまさに記憶の世界に浸りながら生きている状態だから、この部分はボクの心にやさしく、すーっと染み入ってきた。