今日、車椅子の客が店員に絡んでいる場面に偶然出くわした。

 

その客は新オープンの店で、その店が車椅子の人にも対応したつくりかどうかをあれやこれやと、しつこくたずねていた。

こんなことを思うなんてイヤなヤツなのかもしれないけど、その言い方がボクにはどうしても気になった。

まるで店の粗探しをしてるみたいで、不備があれば即噛み付いてやろうという雰囲気が伝わってきて、聞いていていい気はしなかった。

 

たしかにその人たちにとっては大問題で、エレベーターや特別なトイレがなかったらこの上なく不便だろう。

想像力のないボクにだってそれくらいは分かる。

でもこの世の中のすべての建物がそのような設備を持てるわけではない。

現代においてはハートビル法なんてのができたりと、よい方向に進んでいることは確かだけど、特に古い建物なんかではまだまだ対応しきれていないこともあるだろう。

 

そういういわゆる「粗」ばかりに目を向けていたんでは生きにくいだろうなー、と思ってしまう。

今までボクなんかには想像もできないくらいつらいことをたくさん経験してきて、ついつい無意識の内にいろんなことの粗探しをしてしまうようになってしまったのかもしれない…

 

なんてことを考えていたら思わず「ハッ」と気付いた。

ボク自身も学生時代のうらみつらみから、すぐ大人の粗を探すようになってしまった。

似たもの同士じゃないか。

うらみみたいな気持ちは、そういうネガティブな人間観を育ててしますのかもしれない。

なんだか悲しいな…

 

書き始めでは、他人に期待しながら生きていくのはつらいことだから、もっと自分からポジティブに変わらなくちゃ、なんていう批判を展開するつもりつもりだったけど、書いていて、実はボク自身もかなり他人に期待しながら生きていたんだな、と気付かされた。

ふむ、ポジティブに変われなんて、まさに自分にうってつけの言葉だ。

 

でもなんかなー(苦笑)

ブログに書くことが見つからない。

暇だった時期は、毎日あんなにいろいろ書いても、まだまだ自分を表現しきれなかったのに、今では何も書くべきことがない自分に気付く。

真の芸術家を生み出すには奴隷制度が必須だ、と昔の人は言ったそうだけど、まさにその通りだと思う。

あの頃は、こんな空っぽなヤツながら、いろいろ頭を使って考える余裕があったから、それなりにいろいろ書くこともあった。

でも、ちょっと働き始めると、すぐそんな余裕を失ってしまって、語るべき自分がいなくなってしまう。

何も考えていないからだろう。

余裕があってこそ人はいろいろな想像力を得られると思う。

 

 そんなことを考えていると、本当に働くことが自分にとってプラスになるのだろうかと、つくづく考えてしまう。

 

働くことは人の成長にとって必要不可欠だ、とよく言われる。

ある意味ではそれは真実だろう。働くことによってしか得られないものも多くあるだろうし、そういうものをたくさん身につけている人が、社会的に「立派」といわれる人たちなのだろう。

 

 でもそれは、ボクが目標にする人物像とはかけ離れている。

ボクはボクらしく、自分が大切だと思うものを大切にしつつ、自分が楽しく、幸せだと思える生き方をしたいと思う。

それが他の人からみればささいなことであっても…

他人からどう思われるとか、相対的満足とかそういうものではなく、自分なりの幸せを本当に見つけられている人って、意外に少ない気がする。

ボクはそんな人になりたいな。

北海道に帰ってきて、ようやくネット環境も復活したので、またこれからなるべく毎日更新していく所存。

これからもよろしくお願いします。

 

ようやっと東京での新人研修も終え、今日勤務先にはじめての出勤。

 

でも研修や初出勤を経験してあらためて感じるのは、とにかく学生時代は甘えきった毎日を過ごしていたということ。

あんなにありあまっていた時間が、今ではとても貴重。

なんか日常に忙殺され、心を失っていく社会人の気持ちを痛感。

学生時代はとにかく時間に余裕があり、他人のことを気にしていることも多少はできたけど、時間を奪われ、一歩間違えればボクもすぐにあんなに毛嫌いし、バカにしていたあちら側の世界に脚を踏み入れてしまいそう…

 

ボクは果たして余裕を失わず、想像力を維持、発達させていくことができるのか…

それがボクのまず第一の課題。

そしてどんな時も向上心や想像力を失わずに生きていたいと思う、初出勤の夜。

 

『海辺のカフカ』 by村上 春樹

以前、ハードカバー版を読んだことがあるが、今回文庫版が出たということで、購入し、いろいろな移動の合間を縫って読む。

『海辺のカフカ』は、主人公田村カフカ君が、お約束のあっちの世界とこっちの世界を行き来しつつ、成長していくお話(とボクには感じられた)。

エディプスコンプレックス、多重人格(専門的には不適切な表現かもしれませんがご了承ください)、幼児虐待、そしてそこからの脱却etc.…
そのような具体的な素材の味やにおいはあちこちになんとなく感じるけど、村上さんの場合、その素材を細かく刻んで、鍋にいれ、さらに何日もぐつぐつ煮込んでいるため、できあがった料理はなんともメタファー的で暗示的な仕上がりとなっている。
しかも登場人物もとても観念的で、象徴的な存在。
まぁその混じりけのないその純粋さが読者には気持ちいいのだろうけど、まさに村上ワールドだ。

村上さんのつくる料理(作品)はそんな風だから、食べるたびに全然違う味がする。
自分の舌が肥えてくるに連れて、また違った素材の味なんかが感じられるようになるから、以前とはまったく違う楽しみ方ができる。
そして、いろんな味覚を持つ人がいるけど、どんな味覚を持った人でも楽しめるし、その楽しみ方は自由だ、と村上さんがおそらくは思っているから、こん何も幅広い人たちに支持されているのだろう。

ボクが今回読んで思ったのは、「記憶」も重要なテーマのひとつなんじゃないだろうかということだ。

佐伯さんは、
「それ(思い出)を抱えていることがどんなに苦しくても、生きている限り私はその記憶を手ばなしたいとは思いません。それが私の生きてきたことの唯一の意味であり証でした。」
と言っている。
しかも佐伯さんはその記憶の象徴を燃やした後、田村カフカ君にむかって、
「私があなたに求めていることはたったひとつ。(中略)あなたに私のことを覚えていてほしいの。ほかのすべての人に忘れられたってかまわない」
とも言っている。

そして大島さんは、
「大事な機会や可能性や、取りかえしのつかない感情。それが生きることのひとつの意味だ。そして僕らの頭の中には、たぶん頭の中だと思うんだけど、そういうものを記憶としてとどめておくための小さな部屋がある。きっとこの図書館の書架みたいな部屋だろう。(中略)言い換えるなら、君は永遠に君自身の図書館の中で生きていくことになる」
これを見たとき、甲村図書館とはつまりいろいろな人の記憶の象徴なのでは、とボクは思った。

そして佐伯さんは外の世界に生きることに疲れ、結局その記憶の世界(図書館)に帰ってきた。
カフカ君は目をそらし続けてきた過去の記憶と向きあうために、はるばる記憶の世界にやってきた…
そういうことなのだろうか?
でもなにが正解であるわけではないし、ボクはそう感じたんだから、それはそれでいいのだろう。
今のボクなんてまさに記憶の世界に浸りながら生きている状態だから、この部分はボクの心にやさしく、すーっと染み入ってきた。
今日はいよいよ京都を後にする日。
そしてそれは同時に、姫との関係が変わらざるをえない日が来たことを意味する。

今までは、お互いそばにることがあまりに当たり前のことになってしまっていたので、これからは離れ離れになるということが、頭ではわかっていても、そこには実感がまったく伴ってこなかった。
だから、いざこの日が来ても、まったく普通の1日と変わらぬように感じていた。
それは姫にしても同じだったようで、ふたりで、
「ぜんぜん実感わかないねー」
なんて言いあっていた。

その状態は京都駅に着いて、一緒にお昼を食べるにあたっても変わらなかった。
姫はしきりに、
「悲しみを感じる感覚が麻痺しているのかもしれない」
なんて言っていたけど、まったく同感だった。

そして切符を買い、新幹線乗り場のほうに向かう。
しだいに口数が減るふたり。
エスカレーターをおり、いよいよ改札口に到着する。
立ち止まる姫。


そして「それ」はいきなりやってきた。


ボクに抱きつき動かない姫。
顔を上げるともうその顔は涙でくしゃくしゃだ。
その顔を見た途端、ボクの中で「それ」をおしとどめていた、堤防のようなものが一気に崩れ去る。
そして次の瞬間には、「それ」はもう、まるで氾濫した濁流のような、理不尽なまでの勢いで、ボクの全身を飲み込み、覆いつくしていく。
グニャリと歪む視界。
切符をとりだし自動改札に向かう姫。
ボクの中では「それ」が渦巻き、すべてを飲み込んでいく。
ますます歪む視界。
何度も振り返りながら、やがてエスカレーターに乗り込む姫。
追いかけたいけど、実際には何もできず、ぼやけた視界で次第に消えていく姿を追い続けるしかないボク。
最後にお互い手を上げ、無理につくった笑顔をかわすふたり…

そしてふたりは新たな道を進むことになった。


取り残されたボクは、姫が行ってしまってからも涙は止めることができなかった。
電車に乗り、ボクも帰路についたけど、電車に乗ってもまだ泣き続けていた。
だいの大人がひとり電車で泣き続けているというのは相当奇妙だっただろう。
実際2、3人の人はどこか心配そうに、でもどこか興味ありげにボクのことをちらちらと見ていたけど、周りのほとんどの乗客はボクなどまったく気にしないでいるようだった。
でも、その時はその無関心さのおかげで逆に救われた部分もある。

駅につくころには、依然自分自身の感情を捕らえきれてはいなかったけど、なんとか「堤防」は応急処置を終え、「それ」をなんとか押しとどめておけるくらいには、回復していた。
「それ」の激流におし流され、ボクの心の中はぼろぼろで悲惨な状態だったけど、それを前にただ呆然と立ち尽くしているわけにはいかない。
古いものが壊れてしまったのなら、新しくよりよいものをつくりなおせばいい。
そう、これは別れじゃなくて、お互いの新たな門出なんだ!
自分をそう奮い立たせ、ひとつ思いきり鼻をかみ、ボクは開いたドアへと向かう。
そして涙をぬぐい、胸をはって、群衆の中を大またに歩いていく。

今日はいよいよ引越し。
朝からオカンが来て手伝ってくれた。
5年間を過ごした京都ともいよいよお別れ。
なのに、思い入れの深い場所にいってこっそりとひとり、別れを告げる時間などなく、ただひたすら引越しの準備に忙殺される。
風流さのかけらもないがこれが現実…

そんな中、忙しさの間隙を縫って、ボクとボクのオカン、それに姫と姫ママの4人でランチ会食をすることになった。
ボクは姫ママには何度か会ったことがあったけど、ウチのオカンをむこうに紹介するのは初めてだ。
ってか、うちのオカン、息子がお付き合いしてる人と会うの初体験。
会食が決まってからは妙にそわそわしていた。

会食が始まってからも、妙にかしこまった言葉遣いや、奇妙としか言いようがないえせ標準語など、随所に緊張が見られたけど、それにしてもよくしゃべる。
姫ママもよくしゃべる人なので、延々ふたりのトークショー。ボクたちは言葉をはさむ隙すらない。
しかもウチのオカンはボクのクソガキ時代の話ばかりむし返し、姫家族、興味津々。
黙るしかないボク…
なんか、無理矢理場を盛り上げようとして、身内同士自虐ネタでお互い足をひっぱりあっている、合コンみたいな雰囲気だった…

その後も、ウチの弟や向こうの兄など、対象は変われど、ずっと身内のダメさ加減を披露してはそれを笑うという図式は変わらなかった。
これが京都最後の思い出かと思うと、とても微妙…
でも自慢話よりは自虐ネタのほうが好きだし、そのほうが楽といえば楽。
まぁ、楽しかったし、こんなもの?

なんか妙に現実を思い知らされた、奇妙な京都最後の1日だった。
今日はボクの通う大学の卒業式があった。
ウチの大学の卒業式はリベラルな雰囲気で服装も比較的自由なので、(というよりむしろ仮装大会!?↓こんな人とか平気でいますw)

まず衣装選びから迷ってしまう。

ウチの部の人たちは乗馬的正装(↓こんな感じ。ちなみにボクですw)で

出席する人が多い。
でもボクはもはや乗馬用ブーツがボロボロで行方不明なので、泣く泣く普通のスーツで出ることに。

そしていざ会場に行ってみると、姫が振袖姿で来ている。
とてもキレイ。

式自体は例年より少し地味で、退屈だったけど、終わった後、部の卒業生達とみんなで写真を撮ったりして、とても思い出になった。
でも不思議と別れの切ない気持ちなどはまだわいてこず、ただただ、その空間が楽しかった。

その後お世話になった↑の馬と記念撮影して、終了。
この時はさすがにちょっと切なかった。

これで楽しかった大学生活とも、正真正銘のお別れ…
4月からは一応新社会人。
まだまだ未熟で、不安たっぷりだけど、大学生活で得たことを武器に、楽しくやっていこうと思う。
本当にお世話になりました、ありがとう、マイ大学☆

あさっての退去を前に、今日も部屋の大掃除にいそしむ。

この部屋に住みだしてから、早1年半。
湿気がたまりやすかったり、換気扇をまわすとなぜか嫌なにおいの空気が入ってきたりと、住んでいて不満ばかりがたまる家だったけど、さすがに1年半も住めば愛着もわく。


その部屋を掃除していて思うのは、とにかくゴミが多い!
うずたかくつみあがったゴミ袋の山をあらためて見ていると、よくもまぁ、こんなにもゴミにかこまれながら生活していたもんだ、と感心させられる。

でもその分、思い出もいっぱいつまっている。

部活時代の新歓パンフレット。
大会でもらった賞状やリボン。
試合のビデオ。
いろんな写真。

それぞれに思い出がいっぱいにつまっていて、手に取る度にその思い出がリアルによみがえってくる。
ひとつひとつのものが、まるで「マッチ売りの少女」のマッチみたいに、いろいろな白昼夢をつれてくる。
掃除も遅々として進まない。

なかでも一番思い出がいっぱいつまっているのは、姫との「思い出BOX」だ。

ボクは二人の思い出の品を、昔、姫からもらったバレンタインプレゼントの箱にいれて保管するようにしている。
例えば、先日みたいに動物園に一緒にいったら、返してもらった入場券の半券をとっておいて、帰ってきてからその箱にいれておくわけだ。
そうすれば、月日がたち、その思い出が色あせかけても、その箱を開く度にその思い出がまざまざとよみがえってくるというわけだ。
名づけて「思い出BOX」!

今日、掃除のかたわら、その箱を久しぶりに開けてみた。
そこにはいろんな場所の半券やプチパンフレットなんかがつまっていて、「こんなとこ行ったなー」とか「あの時はああだったっけ」みたいに、思い出が次から次へとあふれ出してきた。
そしてその時々の感情もリアルによみがえってきて、体中が暖かい気持ちで満たされていくのを感じることができる。

この箱はボクにとって最高の宝物だ。
札幌に行って、歩くのに疲れたり、道に迷いそうになったら、またこの箱を開けてみようと思う。

昨日は姫とお弁当を持って、近場の動物園に行ってきた。
昨日は祭日だった上に、絶好のカンガルー日和(?)だったので、たくさんの人が動物園に来ていた。
前回は、平日だったこともありとてもすいていて、漠然とうらぶれた動物園だと思い込んでたので、なおさらその人の多さにびっくり。


なかでもボクが一番おもしろいと思ったのは、「サル山」だ。
動物園の動物は基本的に、単体とか2頭くらいで、せまいオリにおしこめられ、寂しさや退屈さからか、活き活きとした表情を失ってしまっている動物が多い。
でもサル山はそれ自体プチコミュニティといった感じで、リーダーあり、お局さまあり、子供あり、みんな活き活きと社会生活を送っているように見えた。
またその関係を想像しているだけでもかなりおもしろった。
真昼間から、大観衆を前に、「こと」に及んでいるサルなんかもいて、しかもオスは終わった後すぐにだるそうに寝転んで、メスに毛づくろいさせている…
「あんな男になったらサルと一緒だな…」とひとり自戒。


そのほか、昨日は人が多くて驚いたのか、ナーバスになっている動物が多いように思えた。
ホッキョクグマはずっと歩き回っては、足を上げ人を威嚇していたし、ライオンもまさにキレル寸前という感じで、しきりにおそろしいうなり声をあげていた。
でもライオンがそうやって人を威嚇すると、観衆はますます喜んで、ライオンの周りに集まってくる。
そうすると、ライオンもますますストレスをため…
ボクら二人がそんなライオンの前からすっと消えても、ライオンのストレスを和らげられるとは思わなかったけど、ボクにはその光景が見ていられなかった。
あらためて動物の悲しさを痛感する。
せめてこうやってボクらを楽しませてくれている動物達に感謝せねば、と思った一日だった。


その後、ひょんなことから姫とケンカ…
ケンカというより、説教を受ける。

昨日の教訓。
相手によく思われたいがゆえに、無理にかっこつけようとして、逆に相手の信用を失い傷つけることもある。
かっこつけるならそれ相当の努力をする!

ごめんなさい。

PS
一応許してはもらえました。

そろそろ読んだ本がたまってきたので、メモ程度に感想を。
書評なんてものはとてもじゃないけどできないので、あくまで感想。

『ランドマーク』 by吉田 修一
『パークライフ』で芥川賞を受賞したり、『東京湾景』が月9の原作になったりと(でもあれはストーリーといい、テーマといい、まったく別の作品だった…)、今かなり旬な作家の作品。

埼玉、大宮を舞台に、巨大ビルの建設にたずさわる現場の作業員と設計者という二つの視点で物語りは進行していく。

この人の作品の登場人物はみんな、理屈とかそういうものを超越して動く。
なんでも理詰めでしか世界をとらえられないボクとしては、みな本当に新鮮な存在。

ある方が、
「理屈ではわからないものを書くのが小説。非論理でもリアリティのあるものを書きたい。」
とおっしゃっていたそうですが、吉田さんの作品の登場人物はみんな、一見して不可解なんだけど、ホントにリアル。

イライラしたくて、わざとイライラするであろう職に就くんだけど、それでもイライラできなくて、自ら貞操帯をつけるなんて、理屈を遥かに超越していて、でもなんとなく気持ちは分かって、うならされるばかり。


『素晴らしい一日』 by平 安寿子
最近お気に入りの作家さん。
田辺聖子さんのユーモア小説にあこがれると本人が言っている通り、かなり似た作風。
読めば元気が出ること間違いなし。
強く生きたい!なんて思っている方にはオススメ。


『Teen Age』 by角田光代 瀬尾まいこ 島本理生 川上弘美 ほか
"teen age"をテーマにいろいろな作家の作品を収録した作品集。
旬な作家の短編がいっぱい。

個人的に青春小説は大好き。

ボク自身が本当になにも考えずに空虚なだけでなく、おもしろみすらないという最悪な高校時代を送ったことに対するコンプレックスから、思いっきりバカやったり、しっかりものごとを考えてる高校生ヒーローが出てくる小説を読むと、単純な子供みたいに、彼らにあこがれてしまう。
『GO』とか『ぼくは勉強ができない』とか『69』とか…
現実にはけっこうな人が青春時代を無駄に過ごしたという思い(コンプレックス)を抱えているだろうから、彼らにあこがれる人は多いんじゃないかと思う。

でもこの『Teen Age』に出てくる話の登場人物はどれもけっこう等身大。
個人的には島本理生さんの「Inside」が好き。
この人のお話に出てくる男の子は、オクテだけどその分誠実な子が多く好感が持てる。
女の子に迫って、拒まれて、口では「いいよ。ごめん、ちゃんとお互いがいいって思えるまで待つよ。」なんていいながらも、失望をかくしきれず、しっかり女の子に見抜かれてるあたりなんかは、かわいくて思わず笑みがこぼれる。


そんな感じ。
今は文庫版ででた『海辺のカフカ』を読み直しているところ。